それでも逝きたい者達へ

メンヘラと認めたくない精神障害者のはなし

あたしはバンドマンになりたかった

 

来世はバンドマンになるんだ。

男でも女でもいい、歌が歌いたい、叫びたい。

まあ、来世なんてごめんだけれど。

 

あたしはバンドがやりたかった。

音楽が好きだった。

まあ、陰キャなんで無理だったんですけど、口で言うだけならタダって事で。

いつからかロックバンドのCDを漁り続けては好みのバンドを探していた。沢山の音楽に出会った。王道恋愛ソングもいいし、バチバチのロックもいいし、洋楽も、ちょっと狂った歌詞も、独特な歌声も。

自分が歌う時のロングトーンにビブラートが自然と入っていることを知った。歌い方というものを知っていく。裏声、ミックスボイス、しゃくり、こぶし。

いつしかしゃくりが癖になった。これは椎名林檎を聴きすぎていた時期だった。

気付けば音域がかなり広がって、色々な歌が歌えるようになった。

 

 

 

https://twitter.com/kemu8888/status/1149592560416878597

 

[色々あって、生きることへの執着が強くなりました]

 

あたしが出会ったのは何年前だったかな。とあるリズムゲームの音楽やっててさ、色んなバンドがいて、声優が歌って。その中のメインバンドのボーカルが、声優兼バンドマンだった。

PENGUIN RESEARCH[ペンギンリサーチ]

とにかく歌詞も音楽もド直球の世代、エモさ、後々知る事になるベース兼作詞作曲が有名ボカロPであったこと。(詳しくはリンク先のTwitterを見てほしい)

 

あたしはこのPENGUIN RESEARCHというバンドに救われたと言っても過言ではない。まだメジャーバンドじゃないから地方ライブなんてやってなくて、田舎住まいには行きにくい。

たまたま上京期間中に野音があった。あたしはもうドキドキして、汗を流しながらコールアンドレスポンスをする。ずっと跳ねてタオルを回して、夢のような時間だった。

あの時はちょうどアニメ「ゾイドワイルド」の主題歌をやってたんだ。WILD BLUE。

シングルも同時期に出ることになるんだけれど、そのライブで初公開された「少年の僕へ」。

 

https://youtu.be/RcU1xqYlpFU

 

薄い音楽パンフレットと一緒に配られた歌詞カード。A4サイズの薄っぺらい紙に、ただ打ち込まれただけの歌詞。あたしはこの歌詞を見ながら、曲を聴きながら、泣くことを許されたかった。

 

「生きることへの執着が強くなりました」

 

ああ、この言葉に、この歌詞が全て詰め込まれているのだろうと。(歌詞は自分で調べてね)

当たり前のように何度も色んな人がぶつけてきた、「生きてればそのうちいい事があるよ」。あたしは勿論この言葉が嫌いだ。

未来に確信なんて、絶対なんてものは無いし、生きたくないものは生きたくないのだ。頑張ってみたって報われない事もある。だから無理に頑張りたくないんだ。そう。そうなんだ。

そう想いながら聞いて欲しい、少年の僕へ。

 

ライブ会場で、人前では寡黙なベースが長々と話していたような気がする。全てはこの歌詞に詰まっているけれど、このメンバーに出会えて、音楽が出来て良かったと、笑っていたような気がする。あたしも出会えて良かった、PENGUIN RESEARCH

 

 

https://youtu.be/Cy4D86mAKFE

 

そして暫くしてから出会う、「それでも闘う者たちへ」。

いいから聞いて欲しいとしか言えない。ダイレクトマーケティングがなんだ。いいんだ、いいから聞いてみてくれないか。

あたしが1番死のうと思っていた10月、11月。

この曲を聞き続けて生き延びた。丸一日リピートしていた日もある。小さな音で流し、眠ったこともある。

もしかしたら賛否両論かもしれない。結局は死ぬなとボーカルは叫ぶのだから。だけどあたしは救われた。ただ空虚の中で、何も無い暗闇で、死ぬことが希望だと思いたかったあたしを、この曲は救った。

確かに命を、ひとつの命を救ったんだよ、といつか伝えられたらいいのに。と、切に願う。

 

 

 

 

下書きが溜まっていく現状こそあたしだって感じ

 

 

 ブロンの…じゃなくてブログの下書きが溜まっていく。前回公開した記事の内容なんて覚えちゃいないわけよ。下書きもなんかメンヘラ履歴書書いてみたり結婚前提で付き合ってた彼氏がクズだった話だったり書いてた気がするけどこれって他人が見て面白いわけ?というか他人が見てんのこれ、おーいって感じである。

 

だから今回は最近あった話だけをしよう。

数ヶ月前から主治医に尻を叩かれ叩かれ3ヶ月後くらいにようやく行動に出た「障害年金の話」。

働く気なんてねえよというよりは働くことに対して不安しかないあたしは、どこで何を仕事にしようが数日で心を折りバックれる自信しかない。今度バックれたらもう立ち直れないからどうにか健常者の真似事ができるくらい待てはとりあえずドクターストップ。ドクターストップ言われてから何年経ってるんですか。3年くらいですか。その間やってた単発派遣も死ぬ思いをした。そんなことはどうでもいい。

 

メンヘラというかメンタルの善し悪し=金の有無ってのは誰にでも付きまとう問題である。

でなくとも家が金持ちで金に困らずとも先天的な病によりメンヘラの道を歩む人も少なからずいることは分かっているが

金がないとは息抜きができない

唯一できる趣味ができない

酒、タバコ、中毒になっていればこれらが無くなればストレスの塊にしかならない

あたしの場合は上記の中毒もあれど、契約している携帯がない。外に出るのが不安になる。趣味の旅行も困難。何より過去に抱えた借金を返さなければならない。メンタルスレスレだったあたしは知らんうちにめちゃくちゃクレジットカードを使いまくっていた。返せる宛てなんかないくせに。

 

あたしの主治医というか、通っているメンクリは非常に親切である。自立支援も手帳の取得更新の手続きをハンコひとつでやってくれるのだ。そんな役所がどうとかの手続きを自力でやれなんて放り出されてはいくら自分の利益になる制度であってもあたしの体も脳みそも動かないしダラダラと先延ばしになっていただろう。

そして今回は障害年金の受給届ときた。これはそう簡単には行かずにまず自分から行動に移さねばならない。そこまで3ヶ月かかった。年金事務所で話を聞き書類を貰い受給条件だなんだとばたばたしながら初診のクリニックに(未だに根に持つほど院長が嫌いである)殴り込みに行き初診の証明を貰い、次の段階の手前である。

 

メンヘラ履歴書をかかねばならない。(正式に言えば申立書)

正式にいうとどの段階から今の状態に至るまでの予兆があったか、数年おきに書いていく。自分で。自分で。(2回言う)

まあこれもメンクリが親切なもんであたしの初心問診カルテやらなんやらをみながら、一緒に書いてくれるというから涙ものである。

院長もとい主治医いわく「薬を出したりカウンセリングをしたり以外で僕らにできることって、最大限使えるものは使う。それの手伝いくらいしかないからね」と。

せんせい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!すき!!!!

どこぞの初診ヤブ医者とは大違いだわ。

病院に恵まれて本当によかった心からそう思う。まあ、ODに厳しいから処方箋ODしたら薬出さねーぞって脅されてるもんでこの間の流血沙汰やらは話せてないけど。ブロンもほら、処方箋じゃないし……ね?

 

で、メンヘラ履歴書を書くに至ってほんとうに記憶が無いわけだ。特に高校。高校の風潮が合わなすぎて何故卒業出来たのかあたしにも分からん。常に逃げたかったし不登校キメてたし保健室の常連だったんだけど。

 

メンヘラ履歴書書いてきてねっていう年金事務所の小太りで早口で何言ってっかわかんねー担当が、最初の症状っていつくらいですかねー、まあ大体でいいんですけどー。って言ってるそばで、んー、と頭を悩ませるあたしよりも先に付き添いの母が「中学生でしょ、学校いかなくなったの」とか、あたしが「初めてカッターやらなんやらでバレたのいつだっけ?」に対しても「中学生だったよ。高校は確実」ってサラッと言われ、あたしは「アッハイゴメイワクオカケシマシタ」としか言えなかった。言えねえよな。

でも実際初めてリスカした記憶なんてなくて、理由も覚えてなくて、ただ幼い頃に包丁を取り出して腕の上で引いてみたことがあるのは覚えている。力が足りなくて何も傷はつかなかった。 

そう。なんにしろ理由も何もかも当時のあたしの考えてたことが分からないのである。

しかし、定期的に死にたいとなぜ産んだのかとそういった訴えを親にしていた。(親不孝すぎんだろ)それも、わりと幼かった気がして、あたしは何が不満で何が不安で死にたいと思ったのか、きっかけは未だにわからないのである。

 

で。

メンヘラ履歴書を書きにメンクリケースワーカーさんの予約を取らねばならぬ。毎日電話をしようとしてやる気をなくすパターンで死んでいる。

今日は昼過ぎに受話器を手に取り、診察券に書いてある電話番号を確認まではしたんだ。

午後休診だった。

間が悪すぎて死にたくなったあたしはデパスを齧って布団に潜った。

 

明日こそ電話をするんだ。

もぎ取れ障害年金。それさえあれば多少の親孝行ができる。借金完済して負の連鎖を断ち切れる。それだけでかなり気持ちは楽になるんだろうと思う。

審査が厳しいのと審査に3ヶ月かかるのが解せない。しかもどんだけメンヘラ履歴書や今の主治医が頑張ってクソでけえ診断書を書いたところで、初診の見立てが悪ければ蹴られることがあるらしい。もしそうなったら一生許さないだろうあのやぶ医者……カルテに適当に書いたもんそんまま写したみたいな簡単な文章で済ませやがって……という感じである。

 

生きるための1歩をやっと踏み出した。そんな気がした。

まあ、今もしにたいな~って思いながらさっきデパス齧ったんですけどね。なかなか前向きにはなれねえよ畜生。

自殺配信がしてみたい

 

 

あたしはルックスにも声にも顔にも喋りにも自信が無いし、顔出しなんて生涯これからなかなかする機会なんてないと思う。高校の時は顔出しでニコ生とか歌配信やってたけどとんだ恥さらしである。

 

そんなあたしかなんで自殺配信がしてみたいとか言ってみたのか、どうだろうね、一人で孤独に自害するってのが当たり前な世界で、(まあこれもおかしな話である)一瞬でもいいからあたしはエンターテイナーとして生きてみたいんだと思う。早く死ねよとか釣りだとかそういうアンチコメントを見ながら、考え直せ、生きてなんていう心配するピエロ達に、あたしの何がわかるんだと叫んで中指突き立ててみたかった。

一昔は結構あったよね自殺配信。途中で垢BANとかで最期を見てもらえなかった人も沢山いるかもしれない。

今じゃどんな人がどういう形で自殺をしたとかいう文字情報にしかならないのだ。とても寂しくはないかい?アンチの脳裏にトラウマを植え付けて見たくはないかい?他人に急かされる事を鼻で笑いながら、あたしは自分のタイミングで空を飛びたい。苦しむ姿を見せたい訳でもなくて、ただ目の前で闇に消えてみたい。

ODして酒を流し込んで、ぐるぐるした目であたしを見ているかもしれない不特定多数のただの人間に、あたしはトラウマを植え付けてやりたい。

あ、立てない。吐きそう。そんな瞬間にどこかのマンションから飛び降りよう。きっと気持ちがいいだろう。生憎うちは二階建てだから、頭から落ちても助かっちゃうかもしれない。自殺未遂が1番苦しくてその後遺症は一生付きまとう。もしもう二度と自分の力で命をたてなくなるような後遺症が残ったら困るだろう?生き地獄の二乗である。

だから確実に死ねるところで、あたしは。

 

配信規制が厳しくなる世の中、その録画でさえなかなかお目にかかることが出来ない。

病死の瞬間に立ち会うだとか、そういった形でしか他人の死ぬ瞬間を焼き付けることが出来ないのだ。

 

本気で死のうとしていたとしてもそうでないとしても<常人には理解し難いこと>を、あたしたちは逃げの手段としてあるいは一瞬の快楽の為として、気を紛らわせる方法として、好奇心で、かまって欲しくて、様々な理由で手軽に血を流し大量の薬を飲み干し酒を飲み首を吊ってみたりだとかする。

最早あたしたちのような人間にとってそれは日常であり当たり前なのである。

そこの加減次第で気持ちよく眠って終わったり、一瞬苦しんだり、記憶をなくしたり、大事になったり、下手をして死んでしまったり。その日の気分で、手加減で死にはせずとも瀕死にはなれる。

そうして苦しみながら後悔するのだ。

先日は余った抗鬱剤を2st、「今飲んでる薬じゃないから処分しなきゃね~うふふ」とか言いながら飲み干し、腕を切っている最中にガンギマリしてひたすらに吐き気を押し込めながら気絶していた。あ、なんか脳が震えるわとか思った瞬間にはもう遅かった。何を思ったのかそのままiQOSをひと吸い、一瞬で悪化する吐き気。自分は何をしたいんだか理解できないまま血溜まりに倒れる。ああ、くだらないなあ、こんな事じゃしねやしないに。

準備周到にHDMIケーブルを輪っかに縛ってドアノブに掛けていたと言うのに、あたしは何も出来なかった。多分あの思考や身体の自由のきかないじょうたいで首を吊っていれば、否定型でもしねたんじゃなかろうか、とあたしは変な後悔をした。

口渇がひどい。口の中が粘つく。どれだけ水分を取ろうが立つことすらままならない。ほぼ丸一日その状態を引き摺って、モヤのかかった脳みそでただ呆然と後悔した。結局なにをしても死にきれなければ後悔するのだ。

腕が血塗れでかぴかぴに乾いている。血溜まりに倒れた時に脚に付いた血ももう気に出来ないくらいにはどうでも良くなった。

ああ、もう処方箋のODはやめておこう。やっぱりブロンだよな。なんて考えながら、未だに残っている抗鬱剤の処理に困っている。

 

あれからもう4日くらい経つのに部屋の入口の床は乾いた血がへばりついたまま、部屋を行き来する度にバリバリと音がする。後始末が面倒で仕方がない。

いやだからなんの話しだって言うやつなんだけど。

立てないくらいキマれるならビル10階くらいを夜中に忍び込みぶんどってやってみたらどうだろうか、自殺配信。

首吊りはなんか、不意にある日成功しそう。そんな感じがしている。

 

26歳、毛根死滅の危機

 

たまにはネタになる話とかないかなーと思ってきた辺り、ブログを書くことが楽しくなっている節がある。言わば日記みたいなもんだけど、元々文章を書くことが好きなあたしは、(同人活動は文字書きメイン、5教科で唯一5が取れる教科は現代文だけだった)今日もこうしてシコシコと、誰にもURLを教えてすらいない=誰も見てすらいない記事を自己満足のために書き続けているのである。

(ここでレキソタンハルシオンセルトラリンを飲み干す)

 

どうでもいいけど薬の管理が全くできない人間なもんで、床という床に錠剤が散らばり、稀に中身だけ落ちてるからそれ見て何の薬か当てるゲームをしている。一応薬箱(薬をぶち込んでるカゴ)はあるにはあるのだが、お目当ての薬がなかなか見つからない。毎月きちんと薬ごとに小分けし、量が多いものはご丁寧に輪ゴムで縛って渡してくれる薬剤師に謝れと。もう持ち帰った瞬間から小分けにされた袋は存在価値をなくし、薬のシートだけがカゴにぶちこまれるもんだから、なんか関係ないOD用の酔い止めとかロキソニンとか今はもう飲んでない向精神薬だとかなんかいっぱい入ってごちゃまぜなのだ。しかも、飲んだあとのゴミすらそこに残留している。1st事に小分けにできるんだから空いたぶんだけちぎって捨てればいい話を。よって先程飲んだ薬のうち1種類が1粒すら見つからず、(新しくつい最近処方されましたよね?)適当に床に落ちてるやつを飲んだ。パウチ?は空いてないから実質セーフである。このくせはまじで直せない。どうしたらいいのかアドバイスが欲しい。

 

はい、話がそれた。

今回は薬とかメンヘラとかそういう話ではなく、あたしの毛根の話である。

あたしは昔から髪の量が多く、細くも太くもなく癖もない、実に健康な髪の毛を持って生まれた。幸せなことである。だからまあそれなりのBBAになってもハゲはしないだろうと思っていた。高校までは大体腰上ロングヘアを維持し、フリーター時代に髪を結びたくない、横髪まで結ぶのは嫌。(接客業だからルールである)みたいな思春期?特有のワガママを経てボブカットにした。髪も暗めの茶髪~だんだん明るくしていき完全に規定違反をしながら適当にしのいでいた。エスカレートすると注意喚起が入るため少しだけ黒くする。みたいな、男だらけの職場だったため、割と寛容だったけど。

 

身だしなみに厳しめのバイトを一旦辞め、就職し、そこでも当然適応能力がなく(ほぼほぼ年下未成年癇癪持ち女上司のせいである)程なく退社、それから髪型自由のコールセンターへ入社。頭皮イジメの第1歩である。

ブリーチはせずにとにかく明るい茶色を定期的に入れまくった髪は、だいぶ痛みつつも金髪になりかけくらいを保っていた。コールセンターも長続きすればまだ良かったもののこれもすぐ退社、最初のバイト先に軽々と出戻りをする。

仕事の能力は評価されていたため戻りたいと言って直ぐに復帰した。実に半年くらいしか留守にしていなかった。あたしの頭髪はそのままである。軽い面接で何も言われなかったためそのまま過ごしていたが程なくおしかりを受け色々言い訳をしながら少しずつ暗くしていく。全く無茶ぶりを言うような店長があたしは大嫌いで、いきなり「明日の系列店のプレゼンと表彰式にお前連れていくから黒くしてこい」と言われ、半ギレで黒髪スプレーをふりかけた。あれ、ムラが出来ないようにするの難しいよね。あとスプレー代出せよ、と貧乏フリーターは思うのである。

プレゼンの資料とパワポの作成はあたしがしてたし、(なんなら職場内で最年少だった)ステージに立たずともとりあえず連行されるくらいなら許せた、が。

「何で髪を黒くしろとか言うかってな、お前を今年度の店舗優秀賞としてステージに立ってもらうからだよ。そういう人が身だしなみがなってないと示しがつかんやろ?」

 

は???

 

いやいやいや、先に言えよそんな大事なこと。何やら社員3人合致であたしに決めたらしいんだけど本当は事前告知などしないらしい。まあ表彰だしな。…………って表彰???

そしてあたしはよく分からないまま会場に連れていかれ、まばらに暗くなった頭髪でステージに上がり、賞金を頂きその場を乗りきったのだ。賞金は多分タバコ代に消えました。

 

そこから、あたしの髪の毛明るくしたいワガママvs暗くしろの社員生活を続けつつ、ピアス禁止だとわかっていながらもボブカットも維持していたあたしは、ピアスジャラジャラ付けたまま働き続けた。頭髪は当然アウトである。

後に運命的な(メンヘラ的な)出会いを経て、働くということが苦しくなったあたしは、大好きだったはずのバイト先をバックレ、間もなくして退社。人生で1番の後悔かもしれない。せめてバックレ足りせず、鬱はカミングアウトしていたのだから円満退社すべきであった。

 

当然、自然な流れでニートとなったあたしは、まず髪を痛めつけ始める。めちゃめちゃ奇抜なアシメにしてみたり、セルフブリーチを2日連続してみたり。日を開けずに色を入れたり、みんな大好きマニックパニックの出番である。

当時推していたキャラクターの髪色が紫だったため、とりあえずメッシュから金髪+紫髪デビューをし、とち狂った時は全体を真紫(巨峰みたいな色である)にして遊んでいた。色落ちしてドブネズミ色になった時が1番気に入っていたかもしれない。

そこから実家を出て、田舎に比べれば奇抜な髪色や金髪だって珍しくもなく、あたしはブリーチをしまくった。とにかく毛根を虐め抜いていた。

するとある時から頭皮が異常に痒くなり、市販薬を使い(めっちゃスースーして痛い)場をしのいでいたが、段々とフケがボロボロと出るようになってきた。(このタイミングで金髪→セルフで黒染めしてるからただの馬鹿である)

炎症は悪化の一途を辿り、ただ過ごしているだけでも痛いしかゆい。かけば汁が出てかさぶたになる。ようやく皮膚科を受診するわけだが、「よくあるんですよね、季節の変わり目の乾燥でこうなる人」という一言。いやいやいや、完全に頭皮をいじめにいじめたあたしのせいだけどね。頭皮のATフィールド無視しまくってロンギヌスの槍突き刺しまくってたから当たり前じゃん。とは言わずに頭皮用のローションを貰い治療を始める。が、薬を塗らなくなった瞬間からまたすぐ炎症は再発するのである。

去年の真冬であった。ただでさえ鬱状態が続き外出すらままならないあたしは、皮膚科に行くことが億劫で仕方がなく、フケを撒き散らしながら(汚ねえ)生活していた。

 

そして、一年半ぶりに両親と再会。あたしが実家に帰省するタイミングである。

母「あんた、後頭部禿げてない?」

ショックだった。確かに薄くなっている気はしていたが指摘されると気になるものである。

それから定期的に皮膚科を受診しているが過度の感想がうんたらかんたららしい。脚とかもうカッサカサである。顔面がむかしは脂性でニキビだらけだった思春期を送っていたため、まさか乾燥を敵に回すとは思っていなかった。

 

そして

 

ここ数ヶ月 

 

抜け毛が異常すぎるのである。

とにかく抜ける。手ぐしをせずともまとめた髪を軽く引っ張るだけでありえないほど抜け落ちる。もう俺の完敗だから助けてくれ。

最後に髪を切ったのも染めたのも一年以上前の話なのに、ハゲまでの道筋は順調に開発されている。とにかく炎症を起こしている部位がかゆい。ついついかいてしまう→血まみれになる→かさぶたができる→剥いでしまうの繰り返しであった。いや、これ完全にあたしのせいな。

だからって髪の毛抜けることないじゃないですか、ねえ……根気よく生きてくれよ……な?毎日髪を梳かす事が怖くて仕方がない。

鬱状態ではなかなか風呂にも入れない状態が続くのも悪い。(頭の洗いすぎも乾燥するから良くないらしいんだけどどっちだよ!!!)とにかく現行で頭がかゆい。そして母が極めつけに「あんたココ、(炎症ひどいとこ)もう禿げちゃってんじゃん?十円ハゲになっちゃうよ」後頭部の話である。

髪の分け目を変えるなんて高とい技術はもちあわせていないし、一体どうしたらこの毛髪を護ることが出来るのだろうか。ステロイド剤塗ってるから禿げたりしてるんじゃないの?ちがう?やっぱり掻きすぎですよね、、わかってるから……ごめんね……家中に髪の毛ばらまいて……一種の抜毛症の如くごっそりと抜ける髪。(抜毛症の疑いも多少あるのだが)

あたし、まだ26際になったばっかりなの。まだぷいきゅあにすらなれてないわ。

 

ところで、いい部分ハゲの隠し方知りませをんかね?戦えど一生治る気がしないんだけどこの痒み。

リーブ21にもアデランスにもお世話になりたくないよお……とか頭皮用の傷跡に元々髪が薄い父親の前でそんなこと、言える訳もなく。

みんな、頭皮は大切にしようね。もうそれだけだよ。

 

健常者が見えている世界

 

いやもうそんなもん忘れたわ。

夜が更けるにつれておかしくなる情緒、昇る朝日を呆然と見詰める。そんな生活が苦しくなって何年か経ったが「明日が楽しみ」「生きてるって幸せー!」みたいな感情ドブに捨てた。だから健康優良児の生活なんてもう拝もうと思って拝めるもんじゃない。

 

そう思ってました。

 

そうそう、あたしはメンクリに通い始めた頃はまだ働いてたんですよね結構長く。その少し前は仕事中の緊張性頭痛と動悸が話にならなかったので内科ハシゴしてデパス掻き集めてなんとかやり過ごしていた。

メンクリに通い始めて眠剤を手にし、デパスレキソタンに変り抗鬱剤イフェクサーとかサインバルタとかSNRIから始まり、最終的にサインバルタを60mg毎日飲んで過ごしてた。あとはあんまり覚えてない。程なくしてニートに降格したし。

 

1人で引越しとかいうデカいイベントを終え、というかよくそんな判断したよな自分。しかも九州から関東へ。躁転してたんじゃないかと思うよあたしゃ。あの時の判断力はもうなんかおかしかった。躁鬱とは診断されてないけど。

 

そっからニートは頑張ってバイト先見つけたけど直ぐに辞めて日雇いでなんとか生き繋いでいた。メンクリに行く余裕なんざあるわけがなく、あたしは以前からOD用に貯め込んでたレキソタンをちまちま消費しながら生きてたんだけど限界はある訳で。

不眠も悪化して働けず、そっから色々経て適当なメンクリに少しだけ通ったが、何をどう解釈してくれたのか、最終的には不眠の話しか聞いてくれない医者。初診は幻聴だとかの話をしたため統失を疑ったのかロナセンを渡され、(レキソタンだけは譲れないと交渉して絶対出してもらってた)抗うつ薬に対しては後回しである。話聞いてた?あのなんとか先生。

ロナセン、副作用がヤバすぎて(副作用と気付くまで自分が狂ったかと思ってたから馬鹿である)下半身のムズムズが止まらない。寝る前に暴れ回る。足をばたつかせないと気が済まない。そんな副作用あんなら最初っから言ってくれよクソが。当時の彼氏と一緒に寝る時彼氏は自称メンヘラ理解者(笑)だから別に気にしないよーとか言ってたくせにTwitterでは煩くて眠れねーよあんなん。とか呟いててあたしはマジで怒りと哀しさと薬のせいなのにってやり場のない気持ちを押さえ込んでた。

結局すぐメンクリ行くのやめて、人生最悪の選択をするんだけどこれは置いておこう。

 

前置きが長くなったが、実家に帰ってきて元々かかりつけのメンクリに通い始めて数ヶ月経った。鬱の度合いだとか何があったとか話をした上で処方された抗うつ薬レキソタン(あいしてる)と眠剤を飲んで、まあ生きては行けるかなって感じであまり深く考えていなかった。(これも最近気付いた)

 

よく考えたら全然抗うつ薬効いてなくない?

 

何故か騙された気分になる。いや、診察の度に「ん~よくわかんないけど大丈夫だと思います」とか言ってあたしが悪い。当たり前である。

そして、ようやく先日暴れ後の診察で抗うつ薬を増やそうとか、希望あるなら言ってみ?と言われ、あたしはもっとハルシオン欲しいです……みたいなもう半分死んだ顔で答えた。いや、眠剤の話じゃんそれ。まあ結果的に量は増えたんだけど。

 

会計してから処方箋を見る。

すると久しぶりにみる「サインバルタカプセル」の文字。昔は1日最大量の60mg飲んでたから、記載されてる1日1回20mgの文字に、ちょっと不安になりつつも別の薬も継続処方だしととりあえず納得。

 

そして朝、サインバルタを服用。

珍しく早起き(昼前)に目覚めたあたしは、いつぶりかの朝食を食べ(サバの味噌煮を齧っただけだが)薬を飲んだ。

じわじわと倦怠感というか眠気は残るが、気が付いたらいつもより身体が軽い。気分がいい。なんなら誰もいない居間で熱唱して猫を愛でた。最近猫に構う余裕もないくらい精神が疲弊していたのに、この変わりようである。

 

サインバルタすげーーーーーー!!!!

 

元々SNRIに適応があるのだろう。副作用の吐き気だとかで飲めない人もよく聞く薬だが、同時にイフェクサーだされてた位だし相性がいいんだと思う。

とにかくなんだか生きてる気がして、ハッピーな気分だった。(とはいえ大抵布団の中ですごしたが)

サインバルタの特徴として即効性はあまりなく少しずつ量を増やしていくような薬だと昔説明を聞いた気がしたが、そんな事はどうでもいい。人と会話が出来る。多分サブリミナル効果が働いてるんだろうなと思ったが、いつもの何倍も喋り、朝食を食べている際に「おでんたべたい」と普段全く食事をとらないあたしが母親に零したことが大層嬉しかったのか、今日の夕飯はおでんだった。

あたしが好きなものが沢山入っていた。

あれ?これってめちゃめちゃ普通に生きてるじゃん。と母親と会話をしながら牛スジを貪る。そして満足したあたしは、落とし穴にハマるのであった。

 

久々に人と沢山会話をし、起きている時間も長く、食事を取った。これがまずかったのだ。まずかったといえば語弊がある。普通の人間に近付いただけなのだから。

食事をしたあたしはもれなく眠気を覚えた。タバコを吸い、日課のギルドゲーの時間まで待機する。

 

気づいたら寝てた\(^o^)/

 

もう最悪である。不眠症の自分が寝落ちとかしかも今日は元気アピールをTwitterでしていた。絶対鬱状態を理由に欠席だけはしない喜びと、人に迷惑かける心配がないと勝手に思い込んでいた。

馬鹿である。ただの馬鹿だった。待機時間に意識を飛ばし、手元には中途半端進められたクエストのリザルト画面。真っ先にみた時刻はぴったしギルド戦が終わった瞬間だった。

みんながおつかれ~とチャットをする中に割り込み切腹をせんと謝り倒す。あんなに元気だったじゃん……いきなり燃料切れでお腹いっぱいで寝ちゃいましたって赤ちゃんかよ。赤ちゃんよりタチが悪ぃよ。後悔で埋めてくれともう殺してくれと、(ここまでは言ってないが)メンヘラ流禊ならいつでも準備OKですから、任せてください(ここで剃刀を握る)とも言いたかった……それくらい穴があったら入りたかった……めちゃめちゃ恥ずかしいじゃん。

母親に無理言ってアプデのためにコンビニまで連れてって貰ったあたしのこの……この!!!!!!!!!!

新しい薬でちょっとげんきだー!わーい!ってやってたら張り切りすぎて寝落ちって、ねえ????いやもうこの申し訳なさは同じような時間指定のある協力ゲームをやる人間にしか理解はできないであろうが凄まじい後悔の波に埋もれそうだ。そろそろ3時間経つけど。まだめちゃめちゃ気にしてる。忘れたくてハルシオンを詰め込んだ。

 

 

そしてアラームをかけるのを日毎ではなく、そっと「毎日」に設定し直したのである。

ゲームに縛られすぎてうつになってい??……その可能性は否定出来ないよね。

 

 

 ただのサインバルタすごいはなしとくだらない日記である。

 

「入院」とはメンヘラのステータスに繋がるという風潮

 

またもやメンヘラマウンティングの話である。マウンティングが嫌いだと不幸自慢が嫌いだとあれだけ言っておいてまたかよ。って思っているのは絶賛メンクリ帰りにカフェでメンタル落ち着かせながら煙草を片手にこれを打っているあたし自身だ。

 

率直に、入院を勧められた。勧められたのは初めてではないが、改めて今回は割と真剣に勧められた。あたしは断固として首を縦に振らなかった。入院してなにになる。メンヘラLvを上げるためのステータスに過ぎないと、そう思っているからだ。

それに、同じような精神疾患者のあふれる場に放り込まれて、あたしは平常心を保てる自信がなかったのだ。

酒もない、剃刀もない、与えられた薬を容量通りに決まった時間に飲み、そんな生活にあたしは耐えられるのだろうか。閉鎖病棟では無いはずだから、そこまで厳しいものが待っているとは思っていないものの、あたしのこの理解し難い虚無感を、死にたいという欲求を、埋めてくれるような天国であるのだろうか。

だったらいっその事自殺未遂繰り返して強制入院の方が潔いいだろうとあたしは思ってしまうのである。

 

あたしには友達という友達はいない。

いないと言うにはあたしを友達だと思ってくれているような子がいるのであれば、申し訳ないが。ご飯に誘えば集まってくれるであろう小学生からの付き合いの子はいる。けれども、そんな彼女らに身の上話をした所で重たいだけだし、仕事の愚痴を零すような彼女らにも人生があり、楽しめる趣味もある。あたしはそんな友人らが羨ましくもあり、あたしの理解者になってくれる、なって欲しいなどという高望みはしていないのである。

メンタルが良くないことは知っていようが、度合いというものもあるだろう。できたてホヤホヤの腕の生傷を隠しながら、彼女らの雰囲気に溶け込むことは、きっと多分これからも出来ないし、望むことすら烏滸がましくも思う。

あたしの自己肯定感のなさは、日に日に増すばかりである。

 

逆に言えば、入院という手段を得て同じような境遇の人間に出会い、痛みを共有する機会だってあるかもしれない。けれども、やはりあたしは他人の腕の傷をみるのも、飲んでる薬を知るのも、出来れば避けたいのだ。

あたしより厳しい境遇の人間に触れ、関わった時点であたしの自己肯定感はますます深まっていく。あたしの悩みはやっぱり崇高だったんだ。お門違いだと、そう感じるのが怖いのだ。だからあたしはメンヘラのステータスアップを捨て、眠剤抗鬱剤の増量を懇願した。

それで良かったのだ。

 

 

余談であるが昨晩大暴れしてしまった。

その内容はメンヘラあるあるかと思っていたが、医者にとっては異常行動だったらしい。

部屋の椅子をなげ、拳よりも大きな穴を壁にあけた。引っ越してきてからまだ片付いていなかったダンボールに、何度も何度もハサミを突き刺しグリグリとえぐった。

母親は泣く。止めてと、自傷するのもやめてと。とりあえず薬を飲みなさいと水を汲みに行った隙をついて、あたしは剃刀を握りしめ腕を切った。母親は泣いた。あたしも泣いた。だってだってと駄々を捏ねるように、伝わらない辛さを伝えるのに必死だった。母親のことを守りたかった。父親の事で病んでしまうかもしれない貴女を守りたかった。でも守れなかったよあたしなんかじゃと、ぐるぐるとした思考の中伝えた。代わりにあたしが死にたかった。代わってやれたらよかった。あたしは、何も出来ない。そうやって卑屈な思いを投げつけてもまだ、母は辛そうにあたしの話を聞いていた。

あんたまでいなくなったら私はどうしたらいいの?悲しまないわけないじゃないと母は何度もあたしに訴える。そんな母の口からもこんなことしてたら入院になっちゃうよ?と何度も諭される。入院とはなんなんだろうか。

 

ねえ、それは綺麗事じゃない?本当にそう思ってくれているの?あたしは愛されているの?そんな思いは口に出せずに、2時間以上の死闘の末、あたしは眠剤をかき込んで眠りについた。

 

メンクリに行かなきゃならないあたしは、時間のかかる前準備(大抵パニックになる)も風呂に入ることも投げ捨て、母に、何時に起こしてとLINEをして目を閉じる。

 

案の定起きられなかった。

食事も採らず、腕を切り続けた体は常に貧血でふらふらとする。会話もおざなりである。

何度も昼飯を催促されたが断わり、父の見舞いに行く母が運転する車に乗り込む。(メンクリの途中まで乗った)

 

「ねえ、パパに見舞いに行けなくてごめんねって言っておいて」 

 

そう一言呟いて、あたしは車をおりメンクリに向かう。

何が正解なんだろう。また、オチがズレてしまったことは、ただの日記として補完して欲しい。

 

なんで自分の事なのに何も理解ができないのだろうかという永遠の疑問

 

精神疾患あるあるじゃないですか

自分を愛して欲しいとかいうアピールができる人はある意味で自分を表現出来て自我があるのだろうけれど

一瞬でも愛を感じられるのであれば誰とでも付き合える、セックスが出来る。あたしの理解の範疇外ではあるが、それも立派な障害なのだろうな、と思う。

 

あたしがメンクリに通うようになった理由①の続きは今度。とりあえず今回は全く関係ない話をしていく予定だ。

 

何故かって明日メンクリ受診の日だからである。私のメンクリルーティンは予約時間に待合室に飛び込み、(いつも余裕を持って行ってるつもりが受診の前にメンクリの近くにある喫煙所で一服して遅れてしまう)先に45分くらいのカウンセリング(と言いつつだいたい雑談)の後に5分~10分の診察。

 

診察はいつも「最近はどう?」から始まる。

どう?ってどうなんですかね!!!!あたし自身が分からなくて困ってるんですがね!!!!と思いながら、さいきんあったこととかを軽く話す。先月は「彼氏と別れました!殺意を持つことで気が楽になりました!!」と伝えたが半笑いされた。そりゃそうだ。

 

今月は色々なことが重なりすぎて、鬱も酷かった。でもどう伝えたらきちんと汲み取ってもらえるんだろうか。と不安でしかたないので、ここにまとめておくことにしようと思い、筆を取った次第である。いつも通り「薬はこのままでいいかな~」と言われて終わるのがあたしは嫌いなのである。それこそ崇高な悩みなのだろうか?もっとなんかいい薬ないですか?薬をください!!なんてヤク中アピールをするにも恥ずかしく、アッハイと診察室をあとにするのだ。

 

 

まず、今月あったでかい事件

『父親が救急車で運ばれた』

アル中である父は、アル中ではあるがアクティブでアウトドア人間である。運ばれる前日は友人とバイクを乗り回し隣の県まで遊びに行っていた。元気だな、5〇歳。(親の実年齢など知らない)

運ばれたのはなんとあたしの誕生日の前日である。

土日の父親の日課であるテニスを終え、(友達いっぱいいていいなあ)車検を控えた自宅の車の整備をしていた夕方である。

突然「頭が痛い。なんか視界もぼんやりする」と訴える。しかし、意識はハッキリしていたし会話もできた。熱中症じゃないの?と言う母親に、うーんうーんと言いながら横にはなりたくない。と呟いていた気がする。確かに具合は悪そうだったし、あたしはそれを、横目で見ながら自室に篭もった。

その一時間後、突如として救急車のサイレンが自宅へ近付いてくる。まさかと思った。あたしは確認をすることなく、布団にくるまったまま、Twitterに「なんか、親父が救急車で運ばれてった」と呟いた。同じ空間にいたくせに、何一つ把握をしようとせず、少ししてから父親に同行したであろう母親にLINEで「なんか大事になるようなら連絡して」と送り、なんとなくぼんやりと過していた。

すると程なくして、母親から「パパ、クモ膜下出血みたい。大学病院に向かってる」と。

 

え??クモ膜下出血???なんかそれってやばいやつじゃなかった??突然倒れたと思ったら死んでる!みたいなやつ!!!心筋梗塞とかそんな感じのやべーやつじゃん!!!と、テレビで見るくらいの知識しかないあたしは、即座にWikipediaを開く。めっちゃやばいやつだった。でもアル中だしなあ。みたいな、心配するでもなく不安になるでもなく、ましてやパニックになるでもなく、ただただ淡々と「そうなのか」と思った。

恐らく混乱しているであろう母親の代わりに祖父に連絡し、少し遅れて大学病院へ。

父親はICUにぶち込まれ、体には管が繋がれ、呼吸は首になにか太いものが刺さっていた気がした。控え室に親族が集まり、みな不安そうな表情を浮かべ、ハンカチで涙を拭う母親を横目に、あたしはどこまでも冷静だった。

 

初めて涙したのは手術前、呼吸器のついた父が痛み止めと軽い麻酔で横たわっている姿を見て、声を出せないからとあたしの手を引き、手のひらに「しゅじゅつするの?」と指でなぞって、意思疎通を図ろうとした時だった。なんでこんな元気だったのにな、情けねえよ。と自然と涙が出る。なんで泣いたのか全く覚えていない。悲しくも不安でもなかったのだ。

この病気は致死率はもちろん、後遺症や合併症を引き起こす可能性が非常に高い。下手すりゃ死ぬし、脳死だって半身不随だってある。

あたしは始めて身内の「死ぬかもしれない」に直面した。大丈夫大丈夫とあたしに声をかける叔母に、「大丈夫です」とだけ答え、あたしは取り乱した母の代わりに書類にサインをしたり母の背中をさすったりと、現実味のない現実に多分向き合っていなかった。

夜も遅く手術は早くて明日になると、あたしと妹は先に帰宅することになった。日付けが変わる。あたしの26歳の誕生日だった。帰りがけにコンビニにより、タバコをワンカートン買った。

 

母親は深夜に一旦帰宅したが、かける言葉も見つからず、半分涙声で「お酒ばっか飲むから……」と俯く母に、退院したら禁酒させないとね。寝れないかもしれないけど、少しは休むんだよと伝え、自室に篭もった。

 

そうして、あたしは急な不安に襲われる。それは、父が死ぬことよりも何よりも、もしもがあったら母親はどう生きていくんだと。残された母親は、どうするんだと。お前が生涯支えるために結婚したんだろ。こんな所でくたばっちゃいけないだろ。なんで、そんな死にそうな場面に遭遇するのはあたしで良かったのに。あたしが、母親を守れるわけがないじゃないか。あたしが、死にたいあたしが死ぬべきだ。社会貢献していて家族もいて、やることがまだあるお前がなんで死にそうになってんだ馬鹿野郎。死んだら一生恨むからな。あたしが代わってやれたら誰も悲しまずに済んだのに。延命治療なんてしなくていいから、そのまま静かに眠らせてくれたらよかったのに。

そう思いながら酒を流し込み、腕に剃刀を押し当てる。不謹慎だろう?分かってんだよ

でもどうしても許せなかったんだ。

だってあたしは、父親が運ばれたあとに『何事もなく父親が帰ってきたら娘が首吊って死んでたら面白くない?』なんてエンターテイナーを気取っていたのだから。

 

翌日、家族総出で手術の説明を受け、リスクの話も聞き、また涙する母をただ見つめ、あたしはCTで撮られた父親の脳みその写真を、呆然と見ていた。話が終わり、早速手術を始めるという。早くて6時間程度と言われた手術は、確か10時間を越えていた。

元々不眠症であるあたしは、色々と取り乱した後にふっと虚無になる。これからどうなるんだろう。

手術は成功した。合併症や後遺症の心配もなく、そろそろ集中治療室から一般病棟へ移れるらしい。父親は短気なくせに、仕事には真面目で、連絡させろと声を荒らげ、集中治療室にいるにも関わらず母親から携帯を取り上げる。

こんだけ元気なのだから大丈夫だろう、とあたしは息苦しい病院へ、見舞いへ行かなくなった。とんだ親不孝者であることはわかっている。母親も妹も毎日のように見舞いに行っている。

父がもし、あたしが顔を見せたところで少しでも喜んでくれたのなら、違ったかもしれない。術後で痛くて苦しくてイライラするのはわかる。でも、父は一切あたしに話しかけはしなかった。それがとても気に食わなかった。

あれだけ父の生存を望んだのに。代わりになってやりたいと思ったのに。

 

それから、あたしは殻にこもるようになった。食事も風呂も、起きるのも億劫で、以前記事にしたゲームの話にも出ていたように、これまで日課にしていた趣味も放棄した。母が眠りについた頃薬と酒を飲み干し、腕を切り、吐こうにも空っぽな胃が無理に押し出すのは胃液とアルコールのみである。ヒリヒリと喉に仕えて痛かった。

アムカの程度も悪くなる。頻度が増え、もっと深く、もっと血が見たいと。毎日死にたいと唱えながらベッドの上でのたうち回り、首吊りと飛び降りならどっちがまだ迷惑がかからないだろうか。そんなことばかり考えている。

つまりは、他人にも自分にも余程執着がないんだろうと、あたしは身内の死の危険を体験するにあたって実感した。

多分父が死んで、喪服に身を包み涙を流しても、その涙の理由は分からなかっただろう。むしろ、棺桶の前でどうしてお前が先に死ぬんだと激怒していたかもしれない。

 

あたしはまだどうしたらいいかわからない。

わからないのだ。