それでも逝きたい者達へ

メンヘラと認めたくない精神障害者のはなし

「入院」とはメンヘラのステータスに繋がるという風潮

 

またもやメンヘラマウンティングの話である。マウンティングが嫌いだと不幸自慢が嫌いだとあれだけ言っておいてまたかよ。って思っているのは絶賛メンクリ帰りにカフェでメンタル落ち着かせながら煙草を片手にこれを打っているあたし自身だ。

 

率直に、入院を勧められた。勧められたのは初めてではないが、改めて今回は割と真剣に勧められた。あたしは断固として首を縦に振らなかった。入院してなにになる。メンヘラLvを上げるためのステータスに過ぎないと、そう思っているからだ。

それに、同じような精神疾患者のあふれる場に放り込まれて、あたしは平常心を保てる自信がなかったのだ。

酒もない、剃刀もない、与えられた薬を容量通りに決まった時間に飲み、そんな生活にあたしは耐えられるのだろうか。閉鎖病棟では無いはずだから、そこまで厳しいものが待っているとは思っていないものの、あたしのこの理解し難い虚無感を、死にたいという欲求を、埋めてくれるような天国であるのだろうか。

だったらいっその事自殺未遂繰り返して強制入院の方が潔いいだろうとあたしは思ってしまうのである。

 

あたしには友達という友達はいない。

いないと言うにはあたしを友達だと思ってくれているような子がいるのであれば、申し訳ないが。ご飯に誘えば集まってくれるであろう小学生からの付き合いの子はいる。けれども、そんな彼女らに身の上話をした所で重たいだけだし、仕事の愚痴を零すような彼女らにも人生があり、楽しめる趣味もある。あたしはそんな友人らが羨ましくもあり、あたしの理解者になってくれる、なって欲しいなどという高望みはしていないのである。

メンタルが良くないことは知っていようが、度合いというものもあるだろう。できたてホヤホヤの腕の生傷を隠しながら、彼女らの雰囲気に溶け込むことは、きっと多分これからも出来ないし、望むことすら烏滸がましくも思う。

あたしの自己肯定感のなさは、日に日に増すばかりである。

 

逆に言えば、入院という手段を得て同じような境遇の人間に出会い、痛みを共有する機会だってあるかもしれない。けれども、やはりあたしは他人の腕の傷をみるのも、飲んでる薬を知るのも、出来れば避けたいのだ。

あたしより厳しい境遇の人間に触れ、関わった時点であたしの自己肯定感はますます深まっていく。あたしの悩みはやっぱり崇高だったんだ。お門違いだと、そう感じるのが怖いのだ。だからあたしはメンヘラのステータスアップを捨て、眠剤抗鬱剤の増量を懇願した。

それで良かったのだ。

 

 

余談であるが昨晩大暴れしてしまった。

その内容はメンヘラあるあるかと思っていたが、医者にとっては異常行動だったらしい。

部屋の椅子をなげ、拳よりも大きな穴を壁にあけた。引っ越してきてからまだ片付いていなかったダンボールに、何度も何度もハサミを突き刺しグリグリとえぐった。

母親は泣く。止めてと、自傷するのもやめてと。とりあえず薬を飲みなさいと水を汲みに行った隙をついて、あたしは剃刀を握りしめ腕を切った。母親は泣いた。あたしも泣いた。だってだってと駄々を捏ねるように、伝わらない辛さを伝えるのに必死だった。母親のことを守りたかった。父親の事で病んでしまうかもしれない貴女を守りたかった。でも守れなかったよあたしなんかじゃと、ぐるぐるとした思考の中伝えた。代わりにあたしが死にたかった。代わってやれたらよかった。あたしは、何も出来ない。そうやって卑屈な思いを投げつけてもまだ、母は辛そうにあたしの話を聞いていた。

あんたまでいなくなったら私はどうしたらいいの?悲しまないわけないじゃないと母は何度もあたしに訴える。そんな母の口からもこんなことしてたら入院になっちゃうよ?と何度も諭される。入院とはなんなんだろうか。

 

ねえ、それは綺麗事じゃない?本当にそう思ってくれているの?あたしは愛されているの?そんな思いは口に出せずに、2時間以上の死闘の末、あたしは眠剤をかき込んで眠りについた。

 

メンクリに行かなきゃならないあたしは、時間のかかる前準備(大抵パニックになる)も風呂に入ることも投げ捨て、母に、何時に起こしてとLINEをして目を閉じる。

 

案の定起きられなかった。

食事も採らず、腕を切り続けた体は常に貧血でふらふらとする。会話もおざなりである。

何度も昼飯を催促されたが断わり、父の見舞いに行く母が運転する車に乗り込む。(メンクリの途中まで乗った)

 

「ねえ、パパに見舞いに行けなくてごめんねって言っておいて」 

 

そう一言呟いて、あたしは車をおりメンクリに向かう。

何が正解なんだろう。また、オチがズレてしまったことは、ただの日記として補完して欲しい。