それでも逝きたい者達へ

メンヘラと認めたくない精神障害者のはなし

メンクリに通い出すきっかけになった話①

 

あたしは昔からメンヘラの気質があった。気質というか変則的なメンヘラである。

 

自覚したのは中学二年の頃だったか。あたしはまだ元気にオタクをやりつつ、カースト上位のヤンキー(小中共に荒れた学校だった)に中指を立てつつ、別にだからといって全く話さない訳では無い、そんな中立的な立場であったと思う。中指立ててたのはたまたま仲良くなった見た目からしカースト最下位のいじめられっ子代表みたいな彼女と仲良くなったからだった。(彼女は今後A子ちゃんとする)

彼女がいじめられるようになった理由は多分性格とかではなく、まあ友人間以外では大人しい子であったが、小学校→中学校に上がる過程で、大抵の人間は同じ地区内の中学に入るわけだ。彼女はその地区外からの入学生で、最初から友達ひとりいなかったのだ。

クラスは違っていたため出会いは部活動。まだ健常者だったあたしは、吹奏楽部に入部した。決して強くも上手くもない、割と気楽な部活だった。そこでA子と同じパートになったのが出会いである。オタクを打ち明けるまでは秒で、仲良くなるまでも一瞬だった。だからあたしはA子を虐める輩に中指を立て、お前が死ねよと吐き捨て自分なりに守っている気分だったのだ。

当然そんなことをすれば自分にも矢が刺さるわけだが、何故か気にすることなく我が道を進んでいた。

 

そんな時である。生まれて初めて『精神疾患』というものがある事をしる。先輩の卒業コンクールの前だった。別パートのとある先輩が学校や部活を休みがちで、このままでは部活として音楽をやっていくためには成り立たないと、部内全体で問題視したからである。

部員全員、1人ずつその先輩に「今どう感じているかどうして欲しいのか伝える」というミーティングが開かれた。今思えば残酷な話である。これまた残酷だと再認識したのはあたしの告げた一言。

『精神的な体調の悪さとか全然私には分かりませんが、出来ることなら一緒にコンクールに出たいです』と伝えたのだ。

後に精神的な体調不良を身にしみて味わうことなど知らずに。

先輩は頑張っていた。一緒にコンクールにも出た。そして世代交代の時期がやってくる。

3年生は受験を控え引退、自分の代が中心となっていく。あたしはその事実に、空気に、どうしても耐えることが出来なかった。名ばかりではあるがそれなりの地位を与えられたものの、コンクールに精を出すという新たな目標を立て、身なり等厳しく見るようになり、明らかに空気がピリピリとしていた。

そして、あまり時間が経たないうちに、精神的な体調不良を実感する事となる。部活に行こうとするとお腹が痛くなる。部室に入ると吐き気がする。ミーティングの時は常に吐きそうになりながら多々嗚咽を漏らしていた。

ああ、こういう事だったのか。先輩理解できないなんて言ってごめんねととても悔やんだ。

あたしはたまに部活を休んだり早退したりするようになり、学校にも行かない日がたまにあった。しかし、部活に関してはなんとか乗り切り、そして最終的にいい痛いの仕方が出来たのだと思う。実を言うととても楽しかった。充実していた。

 

世代交代は突然やってくる。引き継ぎを終え、受験に向けて考える時期がやってきた。

あたしは行きたい高校もいくつかあったが、偏差値で諦め(勉強はしたくなかった)、公立にさえ入ってくれたら金銭面で助かると言うことを知り、それなりの倍率で尚且つ交通費もかからないような近場の高校を選んだ。

その間、中学三年生の1年間何をしていたかあまり覚えていない。友人とおなじ塾に通った。塾は遊びに行っている感覚だった。

けれども、三年の時の担任が何度か自宅までわざわざ出向いていたことがあったのだから、恐らく不登校の時期が多々あったのだと思う。

朝身支度をし、学校へ行くふりをして近場に身を隠し、母が仕事に出たことを確認して自宅へ戻り引きこもる。学校から親へ連絡が行かない訳もなく、あたしはしこたま叱られた。なぜ行かないのかと。私は分からなかった。ネットもない、やることもない、学校で嫌なことがある訳でもないのに不登校になっていたことを。

父は短気である。それはもう今問題にすれば大事になるだろう。いわゆるDVを受けていた。蹴られ殴られ、扇風機を投げつけられた。

流石にそれを見かねた母は逆上し、初めてあたしを車に乗せ夜遅くに家出をしたこともある。

不登校癖はもう治らないものである。所謂適応障害にあたるとあたしは考えるからだ。

この頃から自傷を覚え始めた。まずはカッターで、次は予備のカミソリの刃で。1度包丁を試して見たが、力が入らず傷はつかなかった。

 

無事中学を卒業し、目当ての公立高校に受かり、華の高校生活が始まった。

と思えばこの高校は県内でも随一の高速に厳しい学校であった。どれくらい厳しいかと問われれば、まとめきれないくらいなので、軍隊だとでも言っておこう。

入学式から早々、髪を染めている人間は1週間ももたず退学していき、毎月同級生は減っていく。体罰は当たり前で、刑務所かよとあたしは日に日に病んでいた。

そして登校拒否の時期はくる。待たずとも来るのだ。嫌いな教師の授業は保健室へ逃げ込み、軽い常連になっていた。次第に学校にすら行かなくなる。友人は割と多かった。けれども、類は友を呼ぶという感じで、その中の数名もよく学校を休んでいたものだ。

学年が上がり、学校の仕組みがかなり特殊な単位制になりだいぶ過ごしやすくなった。復学しては登校拒否を繰り返し、その頃には手首にびっしりと切り傷が刻まれていた。体育の授業は苦痛だ。整列をして構える。後列の生徒に傷を見られないように必死で手首を握っていた。

また学年が上がり、あたしは就職なんてしたくなくて、だからといって大学進学のために勉強もしたくなかった。結局適当にデザイン関係の専門学校へすすむことになる。

今思えば、偏差値の低い女子大にでも行けばよかったと後悔するくらい、専門学生時代は短く幕を閉じたのだ。

 

高校から専門にかけて、あらゆる自傷をしていた。手首を切り、夏場は靴下で隠れる足首を切り、大嫌いな教師の授業でとんでもない点数を取った時は、授業中でありながらも半泣きで授業中にカッターを出し血が出過ぎない程度に腕をこっそり切っていた。

不登校に理解のない親は当然のようになぜだと問う。あたしはぐるぐると混乱した頭で、理由もわからずただひたすら泣き喚き、叱られている間は爪を腕と手の甲にくい込ませ、皮がむけ真っ赤になるまで歯を食いしばった。

 

2年か3年の途中、登校すらままならない程に持病が悪化し手術にいたるまで、確実に落とせない単位の授業だけ見学参加をする生活。修学旅行と手術が被り、あたしはいけなかった。

その代わりに修学旅行の積立金で手術代を賄った。仲良い人間以外との団体行動が苦手なあたしは、行かなくてよかったとも思っているから大した後悔はなく思い出もいらなかった。

 

しかし、問題は入院中の話である。おそらく10日ほどの入院リハビリの生活であったが、当時は男関係でメンタルをヘラっていたのだ。

朝は早く消灯も早く、規則正しい生活に慣れていないせいもあり夜は眠れず、ただただ孤独感に支配され、深夜の病室を抜け出し真っ暗な病棟を徘徊し、トイレの個室で泣きじゃくった。今すぐにカッターでもいいからカミソリが欲しい。手首を切りたい。切って楽になりたい。助けて、寂しい。と完璧なる思春期メンヘラである。

退院後はゆっくりと高校へ復帰し、男関係のメンヘラ芸も途中ですっぱり縁を切り、軍隊の中ではあるがそれなりに楽しくオタク活動に花を咲かせていた。高2の頃の担任に、なるべく学校来てねと切なそうに言われた時は心苦しくなった。

 

来るLJK(これはもう今では死語なのか?)、嫌いな教科は保健室へ逃げ込み、たまに休み、単位に余裕が出てきて専門学校も合格。

その瞬間から糸が切れたようにまた不登校が始まる。よく卒業できたよな、と今では謎である。授業は真面目に受けることなく、ノートを写してるふりをして別のノートに落書きや、同人ネタを書きなぐる。定期テストの勉強などいっさいせずに、当時は優れていた瞬間的な記憶力で、休み時間10分教科書をぱらぱらと捲り、それだけでやり過ごせていた。ある意味最強である。美術や情報関連の実技は全く問題なく、寧ろ学年トップの成績で鼻を伸ばしていた。なんちゅー偏り。適当に受けていた簿記の資格試験は仮病でバックれた。テストの点数も赤点ギリギリ、授業中はだいたい寝ていた気がする。

 

そうして不登校を繰り返しつつ卒業。

嫌なことが多すぎてほぼ3年間の記憶が無い。華の女子高生とはなんだったんだろうか。まあ、楽しくオタク活動に精を出していたんだから、そういう意味では充実していたのだろう。

 

こうして形成されて行った逃げ癖は、さらにこれから拍車をかけていくことになる。

次は専門学校~フリーター時代の話を書こうと思う。学生時代の話なんてなんの面白みもないくせに、文字にして興すと割と問題児だったんだろう。

 

あと、ついでにこの高校時代に女の子を恋愛対象とみるというきっかけがあった。

それも後々書いていこう。

 

 

 

はたから見たらヤンキーよりタチの悪い生徒である。もう一生あの高校には行きたくないし、身近に進学希望する人がいるならば全力で止めたい。3年間を無駄にするぞ。ただ、社会の厳しさに抗う術はみにつくかもしれないけどな。

ネットでの繋がりを友人と呼ぶのだろうか

 

あたしは生粋のゲーマーである。細かく言えばソシャゲに膨大な時間と金を費やしてきた。

最悪なのは自己判断が乏しい時期に何も考えられない頭でクレジットカード3枚使い、惜しみなく課金をし膨大な借金に追われた事である。親にバレてからは大変であった。なんせあたしはニートである。督促状に返事をすることも出来ず、裁判沙汰にまで発展した。見兼ねた両親が今もまだ毎月私の借金を返済し続けているのだから頭が上がらない。

 

さて

ソシャゲにも色々あって推しを入手する為に課金を惜しまないオナニー型と、不特定多数の人間が集まって協力するギルド型のゲームがある。

あたしは長らく腐女子活動と両立して推しを愛で一喜一憂する生活を送っていたのだが、2年と少し前から初めてギルドゲーとやらに足を突っ込んだ。

理由としては同人をやる気力がもうなくなってしまったことと、推しに貢ぐ金がないことが大きいのかもしれない。

音ゲーの推しのイベントを走り続け、モンエナを流し込み働きながら不眠不休で、結果1位を取ったことはいい思い出である。当然出資は膨大な額であった。

 

それからギルドゲーにハマり、否が応でも赤の他人と協力プレイをする。ネットでの交流が苦手ではなかったあたしは、

色々と人間関係を拗らせつつも、自分と意見のあう人間を集め、ギルドマスターを営んでいた。

何故ヒラ団員ではないのかと言うと、完全にあたしの性格が故である。人に従うのがいや、とかではなく理想郷を築きたかったんだろう。

それなりに長く、上手いことやっていたがメンバーの一喜一憂に振り回され、最終的にあたし自身が病んでしまいあっけなく解散してしまった。

当時のメンバーの半分くらいとは未だに連絡を取り合っているし、ギルドは違えど一緒に遊ぶことも少なくはない。

 

現在はとあるギルドのヒラ団員をして一年以上経つ。気に食わないことや何度も脱退を考えたが、結局居心地がよかったのだろう。無課金の末席ながらも、それなりの強いギルドに腰を据えている。

勿論、あたしは精神障害者である。不安障害持ちで統失の懸念もあるような人間だ。故にいくら同じギルドの仲間と言えど、他人にどう思われているのか、無課金の自分がここにいても釣り合わないだろうと常日頃悩みを抱えている。

自分はこれから課金をすることが出来ず、(過去の借金や今の収入のなさから)成長が著しく悪いので、戦力にならないと思ったら遠慮なく足切りして下さいと何度か相談をしている。

幸いなことに、貢献度や人柄の面を過大評価されているらしく、絶対そんな理由で除名なんてしませんよと甘えさせて貰っている状態だ。

 

しかしここで懸念していた自体が起こる。

鬱の波だ。トリガーとなった大事件は後々別の記事にするとして、とにかく虚無、虚無、虚無の嵐である。加えてあたしの家のWiFiはゴミクズなため、膨大なデータをダウンロードすることすらままならない。

最近までは時間をかければアップデートに対応できたものの、今は全く手に負えない。即座にコンビニのWiFiを頼りに行くしか手がないのだ。今まさにリアルタイムでこの記事を書きながらセブンイレブンに向かっている。アプデが入ったのは2日前。つまり2日もログインすらしていないという事だ。

 

このゲームの特徴として、毎日決まった時間にギルド同士のマッチングバトルがある。そして目玉は月イチの報酬目当てのランキングイベントが待ち構えている。そんなもん引きこもりのあたしがアップデートの度にコンビニに駆け込むけことが出来るのか?!無理な話だった。何度も言うが鬱持ちのニートである。まず部屋から出ることすら困難なのである。いくら買い物目的ではないとはいえ人前に出るわけで、苦手になってしまったシャワーを浴びて支度をするまでがまず物凄く労力を要する。健常者にはこの辺りを理解してもらいにくいのが苦しい。

 

(ここで日付を跨ぐ)

 

それからあたしはまるで取り憑かれたかのように、深夜4時iPhoneのメモにメンヘラ特有の長文を書きなぐっていた。何故急にそんなことを思い立ったのか、書いたのか、そして最終的にギルドメンバー全員へ向けてメモのスクリーンショットを送り付けたのである。深夜5時、Twitterの通知をつけている人間にとってははた迷惑な話だし常識外れだと思った。しかし当の本人は役目を終え、安らかに眠ったのである。

 

内容は簡潔に、あたしは精神障害者であり最近の鬱傾向が激しいため、毎日時間に縛られることが苦しかったり、参加しなければならない強迫観念を抱いているから少し休みたい。駄目なら代わりを探して脱退する。

こんな感じだ。まるで脅迫じみたその文面は、読み返す度に恥ずかしくなった。深夜テンション恐ろしい。

 

あたしはツイートの中でこそたまに自分は精神疾患があるふうなことを呟いたりするが、死にたいだとか自殺をほのめかすようなツイートはしないようにしていたし、

あたしは精神障害者なのよ!と直接話すこともなかったため、元からあたしに一切興味のない人間から見たらなんだこの構ってちゃんは。休まずゲームに参加することが前提条件にあるんだからさっさと辞めろよと思った人もいるはずだ。

けれどもみなそれぞれ真摯に受け取り、時折辛辣な言葉も見受けられたが勿論あたしのことを気遣っての発言でもあり、大半の人間は辞めて欲しくない。きついなら休んでいいと、なんとも甘すぎる返信をくれた。優しすぎて涙を流しもした。

ただここで終わらないのがメンヘラであるあたしの悪い所だった。あたしのメモに対しての意見に、一旦ギルド抜けて休むといいというものがあったのだ。あたしは全て受け入れるし、その選択も視野に入れていた。

けれども実際に言われてしまえばその瞬間、「ああ、そうだよな。そうしなきゃな。1番人に迷惑書けないしな」と呪文のごとく頭に叩き込まれていく。他の(休んでいいよ等)意見を聞くまでもなく、その半否定的な意見に従うべきだと早々に判断を降し、誰の許可を得る前に「そうですよね、しっくりきました。代打探します」などと早まった返事を全体に公開した。

それからいやいやちょっと待て他の人の意見も……などと宥められつつ、冷静さをかいていたことに気付く。いやおせーよ。

たかがゲームなのに。分かっているのだが、長らく付き合いが続くと脳ミソがこの人は味方だ、友人のようなものだと勝手に判断してしまう。これはあたしだけじゃないんだろうけれども。

 

まあ、最終的にメンタルマジでやべーときだけ休んでいいから、基本的にいつも通り頑張ろうという方針でまとまった。

あれ?あたしが障害持ちアピールした意味ってあったんだろうか?わざわざあんなくそ長い文章を恥ずかしげもなくさらけ出す必要があったか?ない。穴があったら入りたい。

結局、あたしは精神病んでるから気をつかってねってアピールしただけみたいじゃないか!!!!!1番嫌いなタイプじゃん!!!!ころしてくれーーーーー!!!となったのである。

意味もなく人の時間を奪いどうでもいい選択肢を選ばせてしまった方々、誠に申し訳ありません。潔く脱退して、ゲーム自体アンスコすれば良かった。よって相談前と後、大して方針は変わらずただ恥をさらしただけでした。という話。

寝落ちして参加しない人もチラホラいるくせに、寝落ちとメンヘラを天秤にかけたらどっちが勝つんだろうか。どちらもギルドゲーは向いてないので早々に辞めるべきである。

 

何にせよ、やらなければいけないという強迫観念は一生消えないだろう。ニートにとって、たった数分働くようなものである。数分の拘束時間も、その何分も前からそわそわし出す。意味なんてないのに。

全く不器用な生き方をしているな、とおもいつ今日もこれからそのゲームに手をつけなければならない。

 

 

辞めろよ、マジで。

 

 

『メンヘラ』というコンテンツ

 

メンヘラって一言で表せばそれはそれは簡単なもので、考えれば考えるほど分からなくなっていくんですよね。他称メンヘラと呼ばれたくない人間です。

自分の中で 精神障害>メンヘラ とかいうよく分からんマウンティングパレードがいつでもどこでも繰り広げられている。誰がなんと言おうとメンヘラを自称する人間はメンヘラなのだ。それが真理である。だから他人にエセメンヘラと呼ばれようが「私はメンヘラなの!」と声を荒げればそれはメンヘラ出会っていいとは思う。つまりは線引きが難しい存在なのだ。ほら、メンヘラがゲシュタルト崩壊してきた。

 

自称メンヘラはマウンティングがとにかく好きだ。それはもうすぐにマウントを取りたがる。私の方が病んでるのよと周りにアピールをして自己肯定欲を満たしているのである。

基本的にまずはメンクリに通院しているか否かから始まり、次に処方されている薬でマウンティング。

障害者手帳を持ってれば強いし、階級が上であればあるほど誇れるのである。因みにあたしは3級で、先日2年更新を済ませたばかりだ。新米メンヘラ(仮)なのだろうか。

手帳は便利である。1回持てば自分の意思で返還しないかぎり剥奪されることは無い。免許証を持っていない弱者にとっては正義の味方である。今どき身分証明書に健康保険証はあまり効果がないのだ。なんだよ顔写真付きじゃなきゃいけないみたいな風習は。あたしは証明写真がすこぶる苦手だったりする。どう足掻いてもアンパンマンにしかならない。

 

手帳の次は入院、救急搬送、それから閉鎖病棟。この辺りでマウントをとってくる人間は割と厄介なことが多い。

あたしは運良く搬送を逃れてきた身であり、よくある胃洗浄だとか目が覚めたら病院だったとかそういう英雄的な経験はない。

ストロングゼロとブロンを飲み干し眠剤を齧り、タバコを吸いながら剃刀を持参しド深夜の公園で血まみれになりながらゲロを吐き、日が昇る頃にフラフラと帰路に着いたが誰にも気づいてもらえなかった。寧ろ、血まみれのまま帰宅して昼前まで縁側でぶっ倒れてあまり記憶が無いというのに誰にも気を使われなかったという半ば笑い話にすらなってしまった去年の真夏であった。

血塗れのクロックスはこっそり捨てた。赤黒い血がビッシリ張り付いていて固まったそれはペリペリとはがれおちていく。うーん。夏の風物詩かしら。当時のあたしは実家ではなく祖母宅で暮らしていたのでかなり自由にメンヘラ芸を披露していたわけだ。毎日夜中から朝方までストロングゼロのつまみにブロンを齧っていた。

誰にも気付いてもらえない虚しい自傷行為だったというのに、あたしはそれなりに興奮していたのである。

つい最近も(今は実家で)ワインをちゃんぽんしチューハイを飲み干し、ブロンを嗜み血塗れの腕でタバコを吸い優雅な深夜を過ごしていたが、急な吐き気に襲われ、家のフローリングに血痕を残しながら2階から1階のトイレまで這いずっていた。何でだろうか、あの急な吐き気は。さっきまでいい気分でラリってたくせに、裏切りやがってエスエス製薬。という気分である。

まず自室から出るまで数回倒れ込み、部屋を出て階段前の廊下で5分程横になっていた。滑稽である。グラグラする視界で階段を降りまた倒れ、這ってトイレに引きこもり、便器に血を擦り付けながら無心で吐いた。

運悪く月のものも来ていたため腹痛を同時にくらい、上からも下からも出やがる。踏ん張れば上から出そうでクラクラしていた。若干白身を帯びた便である。

理性を取り戻すまで多分30分くらいか、必死で吐き、便座に添えた腕にこびり付いた血を拭いては吐きを繰り返した。もうこれ誰に見つかってもいいからと措置入院を一瞬覚悟したが結局はヘタレである。

事後処理として廊下に撒き散らした血を丁寧に拭い、そっと何事もなかったかのように布団に潜り込んだ。

実に寂しくて哀れでみすぼらしいメンヘラである。あたしのこういった少しだけ度を越した行為は、最終的に自分の承認欲求を満たすためであると考えている。

自称メンヘラも他称メンヘラもちょっと違うんだ!あたしはしがない精神障害者だ!と主張したい割には人に心配されたいのだった。気付かれないんだけどね。

そんな惨事があったとは知らない母親は、翌日包帯が巻かれたあたしの腕を見て、「もう自分をきずつけないでよ……」と悲しい目で問いかけるのだ。ごめんよ、母上。

最早ストロングゼロ+ブロン+タバコ+アムカというのは至高のひと時でしかなく、最近はメンクリ後に夕方から朝までカラオケに引きこもり同様の事をしている始末なのである。

ブロンを買い忘れたってへっちゃらだ。なんせメンクリ帰りだから無敵なのである。抗鬱剤抗不安薬をバリバリ食って定期的に便所へGOだ。どうもお世話になってます。某カラオケ店。WiFiも高速だし住みたいくらいです。

カラオケに参じる前は必ず百均へいきカミソリと包帯をご購入あそばせるため、店員になんて思われてるんだろうな、ふふ。と思いながらレジを出ている。変態じゃないか。

カラオケメンヘラ芸でもまだ他人に迷惑をかけていないので、あたしには孤独死がお似合いなのではないか。と密かに悲しんでいたりする。

 

こういう事ばかりしているくせに、救急搬送にすら縁がないのであたしはマウンティングにはK.O.負けしてしまうのだ。まあ、本気で搬送されたきゃ廊下で寝てりゃいいんだけど。それは何だか美学()に反する気がして実行まで至れない自分はやっぱり構ってちゃんとは相反するんだろうなと思っている。

 

えーと、なんの話しだっけ?メンヘラのマウンティングの話だっけ?なんだかどうでも良くなってきたけど、1回くらい目が覚めたら白い天井と腕に刺さった点滴を経験して写真に収め、SNSに投稿したいという好奇心はあるから厄介だ。

残念ながらODじゃ人は死ねないもんで飛び降りか首吊りかくらいしか簡単な自殺方法なんて思いつかないのだ。

しかし血を見るのも他人の自傷画像を見るのもやめられないので、根底から腐っている。毎日Twitterエゴサをし、こんなパックリ腕切るにはどれくらい力を込めたらいいんだろうかと、多少のケロイドと触ると段になってざらつく腕を見つめる生活。瀉血とかいっときたいよね。そのうち。とか向上心を漲らせるのだ。

あれ?これってメンヘラなんでしょうか。

 

自分の括りをあくまで精神障害者として捉えているあたしは、よくある構ってちゃんメンヘラや、LINE鬼爆メンヘラや些細なことで「○○があった……ヘラる……」と呟く女子高生女子大生に嫌悪感を覚えてしまう。

つまりこの時点でメンヘラマウントを心の中でとっているんだということに気付く瞬間が物凄くダサい。

結局メンヘラを自称するのは他人の自由であるがために、あたしは簡単にメンヘラと名乗る女が苦手なんだろう、その苦手意識からあたしはメンヘラじゃないもん!と思い込みたいんだろう。他社から見たらただのメンヘラじゃんって話。

 

かくいうあたしも女子高生の頃は手首と足首を切りつつ自分はメンヘラだと言い張り、好きな人のことを考え毎晩泣きじゃくっていたものだ。

好きとか寂しいとかそういうメール(まだガラケーの時代である)ばかり送り付けていた。今考えると虫唾が走るほどに気持ちが悪いけれど、今現在そういう境遇の女子高生なんてムスカもゴミのようだと腹を抱えるほど溢れかえっているから世代交代しただけでやっぱりメンヘラは無限に存在するんだと思う。

 

なんの話しをしたかったか忘れたけどとりあえず自分のメンヘラ芸でどれくらいマウンティングが出来るんだろうと思った次第ですね。大したことないじゃん。

おいおいやるじゃねえか流石接客業が天職(自称)なだけあるな

てん‐しょく【天職】
1 天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。「医を天職と心得て励む」
2 天子が国家を統治する職務。
3 遊女の等級の一。大夫の次の位。天神。
「―のゆたかなる道中を見て」〈浮・禁短気・六〉

 

いやいや、タイトル決めてから意味調べんなよって思いました。天から授かった職業ってなんだろうか、前世の話?おれはまだニートだよ。

 

高校卒業して適当に入ったクソみたいな専門学校を中退してからずっとフリーターとして細々と生きていた訳だが、たまたま始めたバイトがバリバリの接客業だった。

あたしは接客なんてぜってー向いてないぜと思ってたんですよね、だってイキリ陰キャだから。でもまあ幸い人見知りではないし当時の若かりし自分は接客が得意なことに気付いてからそれなりに楽しく生きていたもんだ。

その後就職した先も接客だし、その次もコールセンターだし。よくわかんねーな。

あの頃はまだ手首の無数の傷はだいぶ薄れていたため、多分バレてなかったと信じたい。代わりに足首血まみれにしてたけど。

 

本題

なにをやるじゃねえかってちょっと調子に乗ったかってかれこれ3ヶ月以上サボっていた障害年金の受給相談の予約の電話である。

まあ面倒なことに必要なことが多々あってそれもノリでやり切った。今はドヤ顔(実際は死んだ目)してやりたい。

ニートだから当然金もなく、携帯代も払えずもうかなりの長い期間WiFiに生かされている。回線クソだけど。

携帯依存症でも慣れればなんとかなるもんですね。ポケットWiFiとかいう文明の力を使えば移動中とかも虚無にならずに済むのに。(携帯契約しろよ)

よってメンクリの主治医から障害年金貰えるか確認しろよ、診断書くらい都合のいいように書いてやるからさと親切に言ってもらっていたんだが、なんせこの体たらく。予約の電話すらしんどいのである。面倒臭いとかもあるけどとにかくしんどい。怒られるような電話でもなんでもないのにひたすらに長引かせ続けた。

 

それでやっと今日電話をかけたのだが

「1番最初にかかった心療内科の初診日を調べておいてください」

このハードルが高すぎる。

幸い今のかかりつけは人の紹介で通ってるわけでもうここ以外に行くのは怖いわって泣きわめく位には他の病院に信頼がない。

そう、初診の病院選びに失敗したタイプの人間である。

とりあえず楽になりたくて適当に選んだ初診のメンクリは、ナースのクソ長い問診の後に院長?の診察10分くらい、助言「メンタルやられる人と距離を置きましょう」とだけいわれ、渡されたのは極わずかなマイスリーデパスである。え?内科で頭痛い動悸がするって駄々こねて貰ったデパスの10分の1もないんだけど?そもそも話聞いてた?なんのための問診?時間とバス代と待ち時間の泣きそうなおれの心境を返してくれと、トラウマになりそうなくらい一生関わりたくないメンクリであった。

当然初診日なんて覚えてなくて診察券すらない。捨てた。喜んで捨てた。

 

しかし此処で躓いていたら貰えるかもしれない金を無駄にすることになる。

意を決して電話。そしてもう一箇所、ここも信頼のないメンクリだったが一応電話。

完璧だった。

「はい、〇〇クリニックです」

「あっ……(陰キャのひと息)恐れ入ります、以前そちらのクリニックに通って居たものですが、初診日をお伺いしたく……」

慣れたものである。

バイトで鍛えた接客用語(?)+コールセンターで鍛えた電話応対(まあ研修期間終わった瞬間体調崩してバックレたんだけど)でなんなくクリア。

人ってその気になれば場の流れでなんでも出来ちゃうんですよ。

…………まあ、次のメンクリ診察日には予約間に合わなかったからゴミオブゴミなんだけど。

 

最近のうつ傾向がとても激しいから

「今日やらなきゃいけないことリスト」

を毎日作らないと動けねえなあとか思ってたんだけど見事に制覇した。偉い。

これで障害年金通らなかったら泣いちゃう。

やらなきゃいけないことリストに書くことなんて、1ヶ月のうち28日間位は「朝と夜にちゃんと薬を飲む」くらいしかないんだけどね。

それすら忘れてしまう。眠剤飲むついでに思い出す夜~完~って感じ。どこまでも退化している。このまま幼児退行させてくんねーかな神様仏様。

 

あたしは普段飼い猫の下僕なので猫が餌をよこせと鳴けばせっせとキャットフードを餌入れに入れてやるのです。今日の仕事はこれでおしまいである。

 

やることやった達成感でこのままぐっすり夜は眠りたいですね。

いくらニートだからってもうちょっと入眠導入剤強くしてくれないかな。処方のハルシオンぽっちじゃ入眠できねえよ。と、大好きな主治医に文句垂れるのは怖いのであった。だって陰キャだもの。眠剤は勿体なくてODできないし、僕の味方はブロンだけ。だから安心して処方してくれたまえといつも思っている。

 

ストロングゼロを飲み干したい。

3355411


この3355411っていう数字はあたしが好きなアーティストの小南泰葉さんからリスペクトさせて貰っている

同じタイトルの曲があり、内容もまあ「苦労のない穴にサヨナラ」。つまりのところ生死が関わっているような歌詞になっているわけだ。

3355411=死にたい。

いわゆるポケベルよみ?なんだろうか。

あたしはゆとり世代なので詳しいことはよく分からぬ。つまり曲を聴けよって全てのメンヘラに語りかけたい。

 

ブログを立ち上げた経緯

昔からメンタルヘルスがバグってる時は日記を書くような習慣があった。

でもそれには明確な理由があって、ずるがしこく王道構ってちゃんメンヘラだった華の女子高生時代、「好きな人にあなたのことで病んでいるのよ」をアピールする為である。

まだあんのかな、nanoとかあるふぃー?だっけ?もう覚えてないな、古のコンテンツ。

当時はリアルタイムっつー簡略的な日記が流行っていた。Twitter様が主流になり始めた位の話である。

くだらないことを呟いていたし、どこのサーバーを借りてたかとかは忘れてしまったけれど、記事のタイトルを好きなアーティストの歌詞の一部にして書き綴っていた記憶がとても痛々しい。当時はお世話になりました。ONE OK ROCKさん、椎名林檎さん、RADWIMPSさん。

 

それから数年を経て、当時の彼氏にのみURLを教えるというなんとも暴挙過ぎるブログを立ち上げた。使いやすくて重宝しました、tumblrさん。今や元彼への口に出せない不満や不安、しにたいしにたいと文字にするだけの場所になっていて見るに堪えない。

元彼はどんな顔して読んでいたんだろうな。

今はそんな元彼とは犬猿の仲です。お互いの親公認の半婚約者みたいなもんだったのにな。人生って何があるかわからないってもんですよ。お互いアラサーなのにね。でも結婚しなくてよかったとは心から思っている。

 

で。

特に面白エピソードがある訳でもない癖になんでブログなんか立ち上げたかって。

なんとなくである。ニートは暇なのだ。

とか書いてるうちに荒れ散らかった自室の壁になんかでかい虫が止まっていることに気付いたんだけどどうしたらいい?あれってカメムシだよね。視力悪すぎてゴキブリにも見える。

さっき窓開けてタバコ吸ってた時に入ってきたんだろう。はた迷惑な話しだ。

 

駆除しに向かうためにとりあえず記事をひとつだけ。

次は自分の病気だとかそういうことをまとめておこうと思う。あー、タバコ吸いたい。