それでも逝きたい者達へ

メンヘラと認めたくない精神障害者のはなし

ソラニン

 

 

「…辞めちゃいなよ。本当に芽衣子がそうしたいなら。…きっとどーにかなるさ。たとえ誰かに馬鹿にされたり、将来が真っ暗で見えなくなったり、行きつく先が世界の果てだったとしても、芽衣子と俺は一緒なんだから。…てゆーか、俺がどーにかする。 」

 

ソラニン/浅野いにお

 

 

多分あたしはこの作品に出会って、この台詞があって、こういう未来もあるんだろうなって期待をしていたのだと思う。辛いことから逃げても、きっと大丈夫だから、どうにかなるから。どうにかしてあげるから。そんな言葉をかけてもらうことを待ち望んでいた。

結果的にソラニンの映画を一緒に見た元彼は同じようなことを言ったけれども、どうにもならなかったしどうにもしてくれなかった。言葉だけ格好をつけてみたかったんだろうな、気に入ってたし。それに少しでも乗っかってしまったあたしは本当に馬鹿だなとソラニン/ASIAN KUNG-FU GENERATIONを聞く度に思うんだ。

 

簡単に映像作品で泣くようになった時期、高校時代の友人がバンドマンが好きで、あたしもロックバンドが好きで。けれども彼女の熱量には勝てなかったし、彼女は今まで出会った女の子の中で2番目に可愛いし、それは関係ないんだけど、あたしもどんどんロックバンドにハマっていった。

彼女は「ソラニン」が好きだった。

あたしはソラニンについて調べてみた。ジャガイモの芽に含まれる毒なんだってさ。ソラニンという作品の中で、ヒロインの彼氏である種田という男が言った。浅野いにお作品の中ではかなりマイルドな話である。

あたしは映画を見た。マイナーな映画である。けれども、あたしは種田が言った情けないセリフの幾つもが悔しいくらい、好きだった。種田が遺したソラニンという曲は、ストーリー中に歌われ、そしてソラニンのストーリーごと表しているように思う。

しかし、歌詞はあまり前向きなものではなく、ヒロインは「これは自分と種田が別れる曲だ」と勘違いしてしまうような歌詞である。

 

それにあたしは魅せられた。どうして、こんな些細な幸せを感じることが出来る作品で、徐々に苦しみもがき、でも最後には前を向いて生きていけるヒロインの強さに、背負った重荷に。

端的に言えば種田はヒロインの芽衣子に向き合うために、バイクで思いを馳せながら、滲む視界の中で交通事故を起こし、死に至る。

どーにかするって、言ったのに。どうにもならなかった。どうすることも出来ない所に行き着いてしまった種田が、最後は何故か幸せに見えたのはどうしてなのだろうか。

 

狭いワンルームで幸せを育むことに憧れた。

生活が苦しくても、隣に誰かがいてくれたら、好きであれたらそれでいいのだと思っていた。

先の見えない暗い未来に、焦りながら自分のペースで生きていける芽衣子が美しかった。

どこにでもありそうな幸せを、あたしも掴んでみたかった。

人生そんなに甘くはないのです。夢を見るのは自由だけれど、そこには限界があって、もう夢を見るには苦しい歳になってきています。いくつになっても夢を見ることはきっといい事だとは思うけれど、突きつけられる痛い現実が夢を見させてはくれないのです。

どーにか生きているので、誰もあたしを責めないで下さい。どーにかなるかは分からないけれど、夢もみられないけれど、どーにか生きるので。どうにもならなかったら、そこまでなので。

 

例えば緩い幸せがだらっと続いたとする

きっと悪い種が芽を出して

もうさよならなんだ

さよならそれもいいさ

どこかで元気でやれよ

さよなら僕もどうにかやるさ

さよなら そうするよ