依存心という重荷はとうに捨ててしまった
依存心、束縛癖どちらも備わっていない非常にフリーダムなメンヘラです、どうも。
これはつまり学生の頃にひどい依存症と束縛癖を出し尽くした結果であり、これは良くないものだと判断した頭が勝手に切り離してしまったものなのだろう。ある時は男に、ある時は仲のいい友人に。兎に角あたしは誰かの1番でありたかった。それだけなのだ。
近状としては、あたしを1番にしたかった人が遠くへ行ってしまった。あたしはこういう時にずる賢くも引き止めるのである。ずっと好きだったけど、振り向いて貰えない人生が辛いと言われ、あたしは漸くその想いによって承認欲求が少なからず満たされ、そしてあたしも好きなんだろうということに気が付くのだ。
相手からすれば今更何を言っているんだ、という状況である。当然あたしが悪いのだが、どう足掻いても今回だけは引き止めることが出来ず、長年相手を苦しめてきたことへの謝罪を何度も繰り返した。自覚が泣くとも仕方が無いのである。苦しめてきたことは事実なのだから。
あたしには無意識に人を振り回す癖があるらしい。フラフラとしていて、一喜一憂させてしまう、そんな女。どこの悪役天然タラシかと思えば自分の話なのだから目も当てられない。
いや、そんなこと言われても。これがあたしの精一杯の言い訳である。結果として双方幸せにはなれないのだから、ただの悪循環でしかないのだ。
依存心を忘れてきてしまった。依存することに疲れてしまった。故に依存されることも理解ができず、対応もできず、適当な対応しかできないのである。
お前がいないと生きていけない、だなんて嘘だと。そんな出来すぎたラブストーリーなど存在しないと、あたしの本能が勝手に拒否をしている。あたしが居なくたってみんな生きていけるし、なんなら居ない方が幸せだと思うよ、あたしは。
依存といえば依存(物に)なのだが、自称の代わりにピアスを空ける癖がついてしまった。元よりピアスは好きなのだが、どう考えても依存と自傷である。ひと月で2桁穴が増えた。
もはやファッションとしては見れない美的感覚の汚さであり、どうにも一般人には理解してはもらえなさそうだ。次はずっと開けたかったトラガスを開ける予定でそのために必要なものが明日頃届くはずだ。楽しみである。
舌のピアスにも慣れてきた、と同時に母親にバレてしまった。何やらおこごとを言われたと思えば、中身は金の話である。心配やら体を大事にやらそういった一般的な考えではなく、「もしそんなところに空けて病気とかになったら誰が金を出すのだ」と。あたしは舌を切り落とせばいいんじゃないですかね、と答えてみたものの、そんな危険性なんてほぼ皆無だし自己責任でピアッシングに励んでいるのだから、斜め上の方向から突っ込まないで頂きたい。
耳に計20以上アタが空いている人間に何を言っても無駄である。
あとはこれといって特に何も無い。
何も無い毎日を過ごしている。早くこの生活から開放されたいと切に願う。