それでも逝きたい者達へ

メンヘラと認めたくない精神障害者のはなし

「生」が惨めで仕方がない

 

自分の人生を例えるならそうだな、惨めだ。

 

みじめ
【惨め】
《ダナ》とてもまともに見られないほど、恵まれない、ひどいさま。なんとも情けないこと。
 「―な姿」

 

 

情けない、それに尽きる。

もう26にもなるのに未だに生にすがり付いてしまっている。生きる理由などないのに、ただ漠然と「死んではいけないのだろうか」と疑問を抱えながら何となく生きている。

自ら命を断つ事が出来ないことを情けなく思うのは、所謂精神疾患者特有の考えなんだろう。故に健常者には到底理解し得ないものである。自分の命なんだから好きに使えばいい。好きに生きればいい。その癖好きに死ぬ事は好意的に受け止めて貰えないのだから、世の中不思議なことだらけである。

あたしは可哀想でありたくはない。可哀想ではないのだ。不幸でもないのだ。何せ生き延びているのだから。紆余曲折、全く認めたくない事も受け入れたくない事も、不信感を抱く事も山ほどあるけれど、それはあたしのワガママでしかないなだと思う。そうして割り切れないからこそ、負の連鎖から逃げられも断ち切れもせず、ずるずると重たいものを背負ったまま、ただただ生かされているのだと思っている。

病院に通うことでさえ、一種の延命処置である。つまり、それは自ら生きることを選んでいるようなものだ。自分は障害者だと見せびらかして甘やかして可哀想ではないのに、人とは違うんだ健常者には理解できない崇高な悩みを抱えていると、そう見せしめたいのだろうか。

あたしはあたしが分からない。なぜか死んではいけないと諭されるから生きているだけである。

しかし、よく考えてみればあたしの生なんて誰もなんとも思っていないのではないか。死んだら死んだで、少し嬉しく思う人間もいるのではないか。そう思うのである。それは仕方の無いことだ。自分で自分を愛せないのだから。

あたしは健常者の気持ちもわからないが、他者である障害者の気持ちもわからない。違う人生を歩んできた他人の痛みがわからない。最近障害者と話す機会が多く、相手は時間をかけて自分の深いところの話をしてくるのだ。あたしは分かったように聞いているが、分からないのだ。だから冗談交じりで障害マウントをとられようとも、相手の方が障害が重くとも、正直興味はなかったりする。ただ同じ「障害者」という枠組みとしてしか見ていない。

そんな人らだってあたしに死んではいけないという。何故か、分からないのだ。所詮はエゴなのか、はたまた違う人間はあたしへ依存心をもっているからなのか。兎に角あたしにその気持ちを押しつけて、生きる理由を押し付けて、自分も苦しむのだけは勘弁して頂きたい。

あたしは他人の生きる理由にはなれないのだ。

貴女が死んだら私が生きる理由がなくなる。そんな綺麗な言い訳、押し付けられているとしか感じられないのだ。嬉しくない、それが本心である。

つい口癖のように友達が欲しいとは言ってしまうが、これは半分本心で半分は嘘である。半ば投げ捨ててしまった青春時代を少しでも取り戻したくて、健常者の真似事のように遊んでみたくて、あたしは友達欲しいと言う。

しかし他人との付き合いは正直酷でしかない。あたしは人間不信ではあるが、話すことは好きだし、元々交流も嫌いではない。けれども最近は、少しでも相手の面倒な部分が見え隠れした瞬間に、ああもういいかな、と思ってしまうのだ。皆悪い人でないことは分かっていて、それぞれ抱える悩みがあることも理解している。だからといって、その悩みをあたしが聞いたところで何になるのだろうか。相手が悩みを打ち明ける相手があたしだとして、気を紛らわせる方法の先にあたしがいるのはおかしいのではないか。

あたしは口が達者であるからつい人を弄りがちであるが、逆はすこぶる苦手なのである。一種のジャイアニズムとでも言えばいいのか。お互い弄りあえるような関係は交友関係としてはとても良好だとは思うのだが、どうしても悪意として取ってしまうのか、ただ単に不快であるのかは分らないが、やはりそれ以上の友人関係を築ける自信がなくなってしまう。嫌に自分勝手な人間である。

そんな自分が惨めで情けがない。心が狭すぎるとでも言えばいいのか。あたしには余裕が無い。何もかも、余裕が無いのだ。無駄に生きる時間と環境があっても、どうしても自由だと思いきれないのは精神疾患のせいであるのか。

惨めで、悔しい、それだけである。

 

 

 

 

 

 

最近障害年金の最後の手続きにいったのだが、書類一枚持参し忘れてやり直しになってしまった。ああ、やっぱり自分の不注意は治らないのだな、と思った。

一週間後にまた遠出して全て終わり、あとは結果を待つだけである。3ヶ月、長い。

もし落ちてしまったらどうやって死のうか、そればかり考えて今を生きている。